マンガがあるじゃないか わたしをつくったこの一冊/河出書房新社 編

最近は漫画を読むことがめっきり減った。
だんだん自分の漫画の好みも変わってきて、
特にマーガレット系の少女漫画が読めなくなってしまった。
クラスで目立たない大人しい女子を、人気者のイケメン男子が実はずっと好きだったってシチュエーション。

ないよ!!
あったとしても、その目立たない女子はもれなく外見が可愛いはずだよ・・・!
そう吉田大八監督の映画「桐島、部活やめるってよ」の橋本愛みたいに。

そんなこじらせた話ではなく、この本は作家、漫画家、芸人など著名人の方々が、
自分の人生に影響を受けた漫画を紹介する、バラエティに富んだ一冊だ。

進路を決定するきっかけになったり、漫画の主人公の生き方に自分の生き方を重ねてみたりと、
人によって「漫画」の作用の仕方が違うのが面白い。
また、校正も入っているとは思うけど、文体からその人となりを感じることができる。
紹介している漫画を読んでみようと思うし、
たとえ自分が読んだことのある漫画でも、また別の見方を知ることができる。

実際に読んでみたいと思ったのが、
フランス文学者・中条省平さんが紹介している『自虐の詩』。

映画にもなっていたので、あらすじは何となく知っていたけど、
業田良家さんの絵柄から原作は敬遠してしまっていた。

でも、中条さんがネタバレすれすれのところでこの漫画のすごさを語る。
「文庫版上巻の3分の2を過ぎたあたりからヤバいから!!」「最終巻とか号泣だから!!」と。

このブログはあくまでも、自分の自己満足で文章も滅茶苦茶に書き記してるもんで・・・
こんな風にうまく人に紹介できるような文章を書けるようになりたいなと思う。

ちなみに、私が一番影響を受けた漫画は「幽遊白書」で、小学生の頃『軀』に憧れて、
自分の妖力が周りにばれないようにと、トイレットペーパーを自分の体に巻き付けていた。
この行動の一番やばいところは、軀の物真似ではなく、自分が軀だと思い込んでいるところだ。
今思い返しても黒歴史。母親は随分心配していたからな。私の頭を。

暮らしの哲学ーやったら楽しい101題―/ロジェ=ポル・ドロア

今悩んでいる人がいたら、さっとこの本を渡したい。

30年そこら生きてきた中で、悩みを解決する手っ取り早い方法は、
yahoo!知恵袋や大手小町を検索することではなく、
悩みから目をそらすことだと考えている。

私は元々うだうだ悩んでしまう性格ということもあり、
悩んでいる時は、思考が同じところで止まってしまうという悪の無限ループに気がついた。
結局、何かにつけ悩む事を見つけては、悩んで・・・の繰り返しで全く建設的ではない。
それなら、単純に寝るとか、無心で餃子を包むとか「気晴らし」をしたほうがよっぽど良い。

哲学というと構えてしまうけど、この本は遊びながら哲学を実践することができる。
これまで私たちが「確実だと思っていたもの」をあえて揺るがす、ズラして考えてみる。
そしたら、新しい発見があるかもしれない。

本の中身はというと、レシピ本のような形式で必ず両側2ページに収まるように工夫されている。しかもご丁寧に、

  • やること
  • 効果
  • 所要時間
  • 用意するもの
  • 解説

まで書いてくれている。挿絵もシュールで思わずクスッとしてしまうものばかりだ。
気に入ったいくつかの例を紹介してみる。

■10分間愚痴を言いつづける
効果:本当に腹が立ってくる
所要時間:指示通り
用意するもの:何もなし

「重要なのは、冷静におこなうこと。」
「ただひとり、部屋に閉じこもって、ぼやく理由もないのにぼやき始めます。」
「はじめのうちのきまりの悪さは乗り越えてください。」

■ひざまずいて電話帳を音読する
効果:ありがたい感じがする
所要時間:きっかり15分
用意するもの:電話帳、それもできれば古いもの

「ひざまずいて、祈りの文句をきちんと唱えていれば、いつかかならず信仰心が芽生えてくる。」
「おそらくあなたは、自分のしていることに何かしらの理屈をでっち上げずにはいられなくなるでしょう。」
「どうしてもやめられなくなったら、教団を設立してください。」

ブラックユーモアたっぷりの著者の言い回しが癖になる。
初めからやってみるでもよし、えいっと途中のページを開いてやってみるでもよし、
色んな楽しみ方が味わえる本。

嵐のピクニック/本谷有希子

2014年の東京国際文芸フェスというイベントで、本谷さんにサインをもらった記念の一冊。
当日本谷さん自身で朗読もしてくれたのだが、
その声はご本人同様、透明感のあるとても可愛らしい声だった。

本谷作品と言われて真っ先に思い浮かぶのが、サトエリ主演で映画にもなった「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」だ。
人間関係のどろどろとした部分や、真っ当に生きられない人間のもがく姿、「人のエゴ」をあぶりだす本谷節が炸裂している。

しかし、この「嵐のピクニック」は、そんな本谷さんの印象をがらりと変えてみせた。
13篇の短編はどれも違った色をしていて、
「ほらほらこんなに引き出しがこんなにありますよ」と読者に頭の中を見せてくれているようだ。

私の一番好きな話が、「哀しみのウェイトトレーニー」。
「わたし」は平凡で地味な普通の主婦。
完璧主義の夫とは結婚7年目で、関係は冷えきっている。

TVでボクシングの試合を見たことがきっかけで、
ボディビルダーを目指す事を思い立つ。
フィットクラブへ入会し、知り合った年下のトレーナーと二人三脚の特訓が始まる。
もちろん、夫や仕事の同僚には内緒で。
体形の変化から職場ではバレてしまうが、それでも夫は気づかない。

「わたし」はボディビルに打ち込むことで、
夫が自分に無関心であることの悲しみや、もっと自分の他の一面を知ってほしいという願望、
自ら抑え込んでいた感情があることに気づく。

「私は、平凡な主婦じゃない。私は夫に無関心でいられる主婦じゃないわ。」

この話は、「日常」という舞台の上で、
一人の女性がアイデンティティを確立していく過程を見事に描ききっている。

本人が変わったことで、これまで見ていた風景ががらっと変わる。
自分が変わるきっかけなんて、日常のどこだって転がってるんだと、
自信をもつことへの可能性を見出してくれる。

結婚6年目の友人が言った一言を思い出した。
「結婚したら、自分より旦那と子どもが最優先事項で、
自分のしたい事とか、いる意味ってなんだろうって、たまに考える」

私は結婚していないので、彼女の悩みを聞くことしかできなかったけど、
「でもさ、中学の時Tommyfebruaryのモノマネうまかったじゃん」って言ったら、
笑っていた。
本心は、自信もってと言いたかったのだけれど。

イサム・ノグチと遊ぼう/イサム・ノグチ日本財団

イサム・ノグチ庭園美術館のお土産でもらったカタログ。
調べたらオンラインショップでも購入できる(MOERE ONLINE SHOP

イサム・ノグチはモニュメントや家具、照明など幅広い作品を制作した20世紀を代表する彫刻家だ。
このカタログは、イサム・ノグチが子どもたちに向けて作った彫刻遊具の作品が収録されている。
国内だと札幌市のモエレ沼公園が代表的で、他にも高松や、大阪、福岡など全国各地で見られるらしい。

イサム・ノグチの手にかかれば、ジャングルジムがこうなる。

これなら、大人が遊んでも恥ずかしくない。

 

イサム・ノグチといえば、
私がずっと欲しいなあと思っているのが、AKARIシリーズのこの照明。

一度、自分でも作れるんじゃないかと思って、和紙と針金で制作を試みたけれど、
完成したのはゴミ箱みたいなゴミだった・・・
そもそもこのフォルムにならない。(骨組みも本家は針金じゃなくて竹だし)

伝統工芸品である岐阜提灯の技術があってこそのAKARIシリーズ。

とりあえず、この照明に似合う部屋に住もう。

使いみちのない風景/絵:村上春樹 写真:稲越功一


村上春樹が「旅」をテーマに綴ったエッセイ。
右ページには文章、左ページには写真とバランスよく配置され、
稲越さんの写真からはどこか異国の空気が感じられる。

私は熱心なハルキストではないが、村上春樹のエッセイは好きだ。
淡々としていて、ユーモアを忘れない。
私たちが見逃してしまいがちな日常の機微も、簡単にすくい上げてしまう。

旅先で目にした風景の中で、いつでも思い出せる風景と、
全く無意識の時にふっと思い出す風景がある。

『使いみちのない風景』
それは、旅先のバスの車窓から眺めた風景の「断片的な記憶」のようなものだ。
普段は心の奥底にしまわれていて、自在に思い出すことは難しい。

でも、これらは私たちの精神と深く結びつき、
今まで見えなかった、また別な風景を見せてくれる。

私たちは何のために旅をするのか。

それは、「そこでしか見れない風景」を求めているからだ。
その場所で見たもの、食べたもの、感じたもの全てが、
生きていくための自分の糧になる。

「人生においてもっとも素晴らしいものは、
過ぎ去って、もう二度と戻ってくることのないものだから。」

旅のすばらしさがこの一文に込められている。
この本を携えて旅に出たい。あわよくば旅好きの猫を引き連れて。

はたらかないで、たらふく食べたい/栗原康

高松へ行った時、北浜Alleyにある本屋『BOOK MARÜTE』で入手した本。

帯に触れると雨宮まみさんのコメントが。
「ああ、亡くなってしまってしまったんだな」と改めて思う。
文章が好きだったので、思い出すと悲しい。

さて、一番の問題はこの本が私の本棚に鎮座していることだ。
実際働いてないし、たらふくは・・・食べていない。

この本は「働かないで食べていける方法を、みんなで一緒にさがそうぜ」という労働倫理を揺るがす提案と、
「社会の秩序を疑え」というメッセージが込められた一冊である。

ただし、一般的な社会論として読み始めてしまうと若干肩透かしをくらう。
現実逃避をしている作者の私的エッセイとして読めばOK、
読んでイライラしてしまう人もいるかもしれない。

ダメな自分を慰めたい人にはうってつけ。でもこれから頑張りたい人は読まないほうがいい。
特に新卒の方々はダメ、絶対。

資本主義社会は消費を美徳とする。
働かざる者食うべからずという当たり前がある。
さらに実感を込めて言えば、30歳を期に「結婚せざるもの、生きるべからず」くらいのプレッシャーをめちゃくちゃ受ける。
独身はコスパが悪い。

働かないやつ、稼げないやつ、結婚できないやつは落伍者だ。
そうやってレッテルを貼られるのが嫌だからといって、
自分のやりたいことができないなんてくそくらえだと作者は言う。

伊藤野枝を引き合いに出して論じている章がある。

伊藤野枝と言えば、許嫁との結婚から逃げ出し、女学校の恩師と駆け落ち。
その後大杉栄と恋愛関係になるも、大杉には妻も愛人もいたため四角関係に陥る。
大正時代にめちゃくちゃ型破りな恋愛をしていた強者である。(本人はこれを矛盾恋愛といった)

伊藤は結婚そのものに疑問を抱いていた。
結婚という制度は「家」のなかに自らを囲い込み、あらゆる可能性を制限してしまうから。
制度や、世間に縛られるのではなく、自由奔放になればいいではないかと。

この思想は極端ではあるが、まあ言いたい事は分かる。
でも、一人ではできなかったことも、二人になってできることがあるのではないか。
結婚したって、独身にはない自由があると信じたい。

そして、私は早く仕事を見つけたい。

この世界の片隅に(下)/こうの史代

この世界の片隅に

下巻は、上・中巻のほのぼのとした空気から一転、
戦争一色に変わり、昭和20年の終戦後まで描かれる。

周作の父は負傷して病院へ。
周作も軍事訓練で家を空けることになり、
すずは大黒柱不在の家を守ることを誓う。

義姉から姪っ子の晴美を連れて、父親のお見舞いを頼まれたすず。
病院の帰り、畑に落ちていた時限爆弾によって、
手をつないでいたはずの晴美と自分の右手を失う。

自分の居場所はどこなんだろうか。
自分は生きていいのだろうか。

子どももできず、晴美も守れない、右手も使えない。
この家に嫁いだ「妻」としての存在意義が見いだせない苦しさが伝わってくる。

中でも印象的なのは、空に飛んでいく鷺を追いかける場面。
鷺=すずが選ばなかった道、実家のある広島での生活や初恋の人と結ばれた未来。
でもそれはもうかなわないことで。

焼夷弾が落ちてくる。周作は体を張ってすずを守るが、
居場所がなくなってしまったすずは「広島に帰る」と伝える。

映画でもこのシーンで思わず泣いてしまったのだが、
周作はすずと一緒にいることを望んでいるのに、
すずはこんな自分は一緒にいれないと思っている。
このすれ違いが切ない。

「すずさんがイヤんならん限り 
すずさんの居場所はここじゃ」

晴美の死をすずのせいだと責めてしまった義姉、
自分のせいだと追い詰めていたすず。
義姉の発したこの一言で、お互いに赦され、本当の家族になった。

終戦を迎え、たとえ周りが焼野原でも、物が足りなくても、
居場所はここだと前を向いて生きる。

周作さんありがとう
この世界の片隅に
うちを見つけてくれてありがとう

すずという魅力的なキャラクターを通して、
日常の中に幸せがあることを教えてくれる、何度でも読み直したくなる作品だ。

この世界の片隅に(中)/こうの史代

戦争が徐々に生活へ迫っていく。
規制が厳しくなる中でも、笑いのこぼれる日常がある。

中巻は、周作とすずの絆が深まっていく様子が中心に描かれる。
これまですずは大らかで、どこか抜けていて天然といったキャラクターだった。

しかし、周作が過去好きだった相手・りんと出会うことで、

本当に結婚したかった人はりんで、自分は「代用品」なんじゃないか。
その嫉妬に苦しむ様子は、

何も知らない少女から一人の女性に変わる瞬間である。

ふとしたところで勘が働くところが、女性。
同性じゃなきゃこんなにリアルな感情描けないなって思った。
すずは結局周作に確かめる事はせず、過去を受け入れて胸にしまう。
それは我慢する事ではなく、周作と生きていくことを選択したすずの意志である。

りんの存在を考えて再読してみると、
すずと周作の橋の上での会話シーンは、作品全体を支えるテーマにつながってくる。

すず:「夢から覚めるとでも思うんじゃろうか」
「住む場所も仕事も苗字も変わってまだ困ることだらけじゃが
ほいでも周作さんに親切にして貰うてお友達も出来て今覚めたら面白うない」
「今のうちがほんまのうちならええ思うたんです」

周作:「過ぎた事選ばんかった道みな 覚めた夢と変わりゃせんな」
「すずさん あんたを選んだんはわしにとってたぶん最良の現実じゃ」

この世界の片隅に(上)/こうの史代

今年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞受賞!
15日からNetflix配信開始!
連続ドラマ化が決定!

まだまだ勢いが衰えず。ドラマは今年の夏頃とのこと。
ぜひとも主人公のすずはのんさんに演じてほしい。
相手役の周作は坂口健太郎くんあたりでどうだろう。5分刈りで。

原作を読んだきっかけは、映画を観に行った後に、
「これは原作も読まなければ!」と思い購入。

装丁は全面に淡い水彩画で描かれていて、並べて飾りたくなってしまう。
こうのさんの絵柄は、スクリーントーンを使っていないので、
一コマ一コマの描写が細かい。

何より漫画のカケアミの表現(↓赤い丸の感じ)が好きだ。
背景は、丁寧に線を重ねられてノスタルジックな雰囲気が漂う。

さて、上巻の内容はというと、戦争が始まる少し前、
主人公のすずが広島から呉へ嫁ぐ以前から語られる。

「・・・いやなら断りゃええ言われても

いやかどうかもわからん人じゃったねぇ・・・」

突然縁談が持ち込まれ、18歳で夫・周作のいる呉へ嫁ぐことになったすず。
流されるまま、新しい場所で、夫家族との新しい生活が始まる。

小姑に嫌みを言われても、ご飯の支度に失敗しても、
置かれた状況に慣れようとするすずのひたむきな姿に共感してしまう。

そういえば、私の祖母は無理やり縁談をまとめられて、
ショックで3日間納屋に立てこもったという話をしたことがあった。

今みたいに自由に選択ができなかった時代があったんだよな、と考えると、
本来では悩むべきはずではないことで、悩んでいることが大部分なんじゃないかと思えてくる。
つまりそれは無駄な時間を過ごしているというわけで・・・

これ以上はやめよう、寝よう。

悪友vol.1/劇団雌猫

浪費。
それは、金銭・時間・精力などをむだに使うこと。むだづかい。

昨年話題になった劇団雌猫の同人誌。

ネット販売(BOOTH)とイベント物販のみだが、
小学館から「浪費図鑑」というタイトルで商業版が発売されている。

劇団雌猫はアラサー4人組からなる同人サークル。

初めて知ったのは、阿佐ヶ谷ロフトAのイベント『集まれ浪費女!HiGH & 浪費ナイト』だった。
今見るとやばい女が集まりそうなイベントだ。(当日人に見られていないか周囲をよく見渡してから入った)

本誌は「インターネットで言えない話」をテーマとして募集し、劇団雌猫が編纂したもの。
さまざまなジャンルの女オタクの浪費体験談がエッセイ形式で語られる一冊。

私もオタク側の人間なので某アニメの複製原画を買った時は、
この絵一枚で、伊勢丹で服が買えるぞ・・・!とヒリヒリした気持ちを抱きながら
ポチッとしたことがある。

誰に言っても理解されないので、家にひっそりと飾って眺めている。

が、しかし。

上には上がいるのだ。
例えば『EXOで消費する女』のエピソード。
K-POPアイドルEXOのメンバー・カイにハマってしまった女性。

20代前半・都内在住・一人暮らし。
1年間の遠征費120万。行った公演13回。

一人暮らしでそれだけの遠征費捻出できるのがすごい。

「夏のボーナスを全部オタ活に使った、と彼氏に話したら、本気で病院に行くことを勧められ、フラれた。」

と恋愛がダメになっても、通帳の残高を観て「お金がない」と思っても、
関心と欲求の大部分をEXOが占めているから、我慢はしていないという。

何より、公演13回に行って
■カイがコンサートで全て踊り切った公演・・・2回
■一部出演・・・10回(踊り無し、または動く程度、出演時間は全体の1~5割)
■そもそも来なかった公演・・・1回(主催者側の不手際が原因)

せ、切ない・・・!
笑っちゃいけないけど、目的の推しが出演しないって。しかも海外。

「そんなに辛いなら行かなければいい。わかっている。でも行ってしまう。わずかな希望に賭けているから。」

そう損得じゃないのだ。
自分で自分が喜ぶことにお金を使う。

これぞ一番健全なお金の使い方かもしれない。