誠実な詐欺師/トーベ・ヤンソン

引っ越しから2週間。ようやく新しい環境に慣れてきた。
・・・が、せっかくの休日に出かけようと思ってもまた台風。
引っ越しして来てから晴天だった日なんてほんの数日しかない気がする。

気象庁のサイトを見たら今年は9月時点で24つ目の台風らしい。
ここ数年は9月時点で20行くか行かないかくらいだからやっぱり今年は異常だ。

こんな時は、ラジオを聴きながら家に引きこもって本を読むに限る。

この本は、トーベ・ヤンソンが書いた小説で読み進めるのに結構苦労した。
難解と言うわけではないけれども、行動の主体が次々と切り替わるので、
気を付けて読み進まないと話が分からなくなってしまう。

舞台は雪が深い海辺の村。
主人公はカトリ・クリング25歳。
親を亡くし、10歳年下の弟マッツと一緒に雑貨店の屋根裏に住んでいる。
頭の中を占めているのは、弟のことと、お金のことだ。

お金をたくさん蓄えて、弟にボートを与えたい。
それが彼女のたくらみ。
人と群れないが、頭が切れたので帳簿の計算や税金の申告、契約書の類の問題まで
村人たちはカトリに助言を求め、一目置いていた。

灯台のある岬の近くには『兎屋敷』と呼ばれる屋敷に老女アンナ・アエメリンが
ひとりで住んでいる。彼女は絵本作家で、沢山のお金を持っていた。
アンナは根っからの芸術家で、自分の作品に心血を注ぐ以外のことに興味がない。
だから出版社を初め周囲の人々からお金をむしりとられていることに気づかない。

カトリは自身の才覚をもってアンナへ取り入り、弟と兎屋敷に居候することに成功した。
アンナに来るあらゆる郵便物や契約書に目を通し、彼女のお金を管理することで、
本来彼女が得られるべき利益を得て、増やしたお金を自分と弟に分け前として分配した。

弟へボートを与えるために。

カトリとアンナは真逆の性格だ。
カトリが信頼しているのは数字で、アンナは真っ先に人を信頼する。

カトリは常に誠実で正しいことしか言わない。
そんな正反対のカトリに対してアンナが心を許すシーンが印象的だ。

「あなたは若くて、まだ人生をよく知らないかもしれない。
でもね、たいていの人は現実の自分とはちがうものに自分をみせようとする」
「人が期待することは絶対口にしないあなたの対応のしかたが、なんだか気に入ってしまって。
礼儀正しさの片鱗すらなくて・・・。
礼儀正しさはときに欺瞞だったりする、そうでしょう?」

アンナが信頼を寄せたことに対してカトリは、
「平静と熟考、いまはこれが肝心だ。賭けをつづけよう。これからは自分の武器で闘える。
その武器は穢れてはいない。」
ここでいうカトリの武器とは、もちろん誠実さだ。
自分の目的の為に動く。アンナを欺きながら。

カトリの誠実さは全ての人間関係を日の下にさらしてしまった。
知らない方が幸せなことまで。
それによって人間関係はぎくしゃくし、疑心暗鬼に陥り、アンナをより孤独にした。

アンナはカトリとマッツとの同居によって、変化を受け入れざるを得なくなる。
今までは見たいものだけ見ればよかったのに。

そんな中、アンナは読書を通じてマッツと交流を深めていく。

カトリは一貫して公正でクールな人物として描かれるが、
アンナのある行動によって感情が爆発する。
カトリにとって、自分だけが弟を幸せにする存在としていたかった。
その立場を揺るがされることは一番耐え難いことだ。
それを、アンナが揺るがした。

トーベ・ヤンソンの文章には、勧善懲悪の単純な物語にはしないブラックさがある。
アンナは恵まれた環境にいるからか、現実を見ずにふわふわとしていられる。
そこにお金に絡む人間関係のいざこざや、汚さは必要がない。
残酷な無自覚さは人を振り回し、知らずの間に傷つけている。

だから、読み終わったあとはどちらが正しいなんていえない。
だれもがみなカトリとアンナ、両方の性質を持ち合わせているものなんじゃないか。

正直、自分でこの話を理解したとも思えない。
ただ、性質の違った人間がお互いに関わることでアイデンティティが崩されていく。その過程が丁寧に描かれている。
そして二人の確執が決して後味の悪いかたちではなく、より良いその先を感じさせる終わり方で良かった。

ナナメの夕暮れ/若林正恭

4度目の引っ越しをした。
長い通勤時間と満員電車に耐え切れずとうとう音を上げてしまった。
4度目ともなると部屋が決まったら、諸々の手続きや荷造りを済ませてと
なんだか慣れたもんだなと思う。

随分更新が滞ってしまったので、
最近読んだ本。

ナナメの夕暮れ。
タイトルの語感がとてもいい。
タイトルが気に入るとそれだけで中身も期待してしまう。

この本はオードリーの若林が、ダヴィンチの連載を加筆修正して書籍化したもの。

毎日を楽しんで生きている人に憧れて、そういう人間になりたいと願ってきた本人が、
そういう人間になることを「諦めた」。
諦めたことによって得られたことが書かれているエッセイ。

この本を読んで共感できる人と、共感できない人が分かれるだろうなというのが率直な感想。
もちろん、自分は前者だ。

昔、井上雄彦が何かのインタビューで、漫画のネームを考えるときに、
自分の深い芯のところまで潜ると言っていた。
なぜなら自分の奥底で感じていることを突き詰めていけば、
他の人だって同じことで悩んでいたり、感じていたりするはずだと。

若林のエッセイを読んでいると、自分がどういう人間で、今どう考えてどう行動しているのか
とても冷静に観察してるんだなという印象を受けた。
自分の中で生まれた「?」を咀嚼して、その考えを(ときおり自嘲も交えながらも)自分なりの言葉で表現している。
うまく自分の中にあるもやつきを代弁してくれているような感じがする。

中でも「自分の正解」にあった言葉は、心あたりがありすぎてドキっとした。

他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、
自分の正解が段々分からなくなる。

他人の正解に置きに行くと、例えばその場に人数が多い時に、
どの人の正解に置きに行っていいかわからなくなり、キョロキョロおどおどすることになる。
だから、僕は人数の多い飲み会が嫌いなのだ。

往々にして、発言力の大きい人というのはいる(権力があったり、有名だったり、学歴が高かったり)。

気を抜くと、そういった人たちの発言はいつのまにか正しいこととしてすり替わってしまう時がある。

自分の頭でちゃんと考えて、疑う。
誰かの意見に乗っかるのは楽だ。
だからちゃんと考えて、自分なりの正解をもっておかなければいけない。

改めて気づかされる。

また、この本は一種の開き直りと励ましを与えてくれる。

明るくて前向きな人間は暗くて後ろ向きな人間を無視してぐんぐん進む。
でも、そんな人間をいくら羨んでもその人にはなれない。

それなら自分だって他人の目は気にせず自分の好きなことをやればいいのだ。

こんな単純なことを今まで色々と考えすぎてできなかった。
引っ越しもしたし、何か自分の好きなことを見つけて思う存分やってみようと思った。