高丘親王航海記/澁澤龍彦

 

昔から、現実と夢が倒錯するような話が好きだ。

自分の中で代表的な一冊がこの「高丘親王航海記」。

時代は貞観七年(平安時代初期)。

高丘親王は、僧侶の安展・円覚2人と秋丸という少年を引き連れ、

天竺へ向かった。

幼少期、父親である平城天皇の寵愛を受けていた藤原薬子に添い寝をしてもらいながら、

夢うつつで天竺の話を聞いた。

その後、平城天皇は権力闘争に負け、心を許していた薬子も自害してしまう。

仏門に入った親王は薬子の記憶を追うかのように、天竺へ行くことが生きる上での目標となった。

天竺までの道程では、蜜人採集をする部族、獏を飼いならす獏園など、次々と奇妙な出来事が起きる。

この物語に惹きこまれたのは、美しく妖しい「薬子」の存在が大きい。

文章全体に甘美な雰囲気が漂うのも、冒頭に彼女のイメージを徹底的に焼き付けられたからだ。

肝心の主人公である親王はというと、周りから愛される人物として描かれる。

何者も拒まない優しい心と、好奇心に任せて危険へ飛び込んでしまう少年のような純真さ。

その優しさが時に自分へ災いをもたらしてしまうというところさえも、魅力的に感じる。

そんな親王に忠誠を誓い、守ろうとする安展と円覚のあたふたした様子はどこか滑稽だ。

前半は旅の始まりを感じさせるわくわく感で始まり、

後半の親王が病に臥せってからは焦燥に変わる。

遺稿となったこの物語は、澁澤龍彦が入院中に完成させたものだ。

病に臥せってしまった親王が、天竺に辿りつきたい気持ちと自分の人生に残された時間に苦悩したように、残された時間がわずかだったらどうするか。

著者の死生観が少なからず反映されているとするのであれば、

私にはこの物語の結末が、明るい結末のように思えた。

ビロウな話で恐縮です日記/三浦しをん

 

オードリーANNツアーの抽選が外れてからは何もする気が起きない。

そういや昔、美輪さんがテレビで「正負の法則」を話してたのを思い出した。
いいこととわるいことは交互に訪れるものだと。

確かに2年前は仕事最悪だったけど、行きたいライブの抽選チケットは全部当たったなあ。

この法則はあながち当たっているのかもしれない。

今ある程度仕事も慣れてきたし、人にも恵まれている。

贅沢はいうなってことか。。。

こうなったら粛々と徳を積むしかない。

さて、この本は作家・三浦しをんの日記を2007年から時系列に編纂したもの。

「ビロウ」という言葉は初めて聞いたが、解説のジェーン・スー氏が調べてくださっていた。

 

尾籠(びろう)

①わいせつであったり不潔であったりして、人前で口にするのがはばかられること。

②礼を失すること。失礼。無礼。

 

内容はこのタイトルどおり、ビロウな話が満載である。

まず、表紙が中村明日美子先生の同級生に出てくる利人であることから分かるように、著者のBL愛・漫画愛が溢れている。

随所にBL本や漫画の感想が描かれているのだが、日常のあれこれは5行程度で終わる日があるのに比べ、感想を書いている日の熱量がすごい。

しかもただの感想ではなく、考察から漫画論にまで発展している。

好きな物に対して追求していくスタンスに共感せずにはいられない。

そしてこの本全体の一番魅力的なところは「三浦しをん」という人間性だ。

基本仕事に追われている著者が、「半ケツでトイレットペーパーの替えを探す」「風呂に入ってない」「冷蔵庫に眠っていた半年前のローストビーフを食す」など普通人が隠したい部分を、赤裸々に真面目に記録している。

あるある。とないない。と頭で思いながら読み進める。

どうやら人は忙しいと現実逃避しておかしくなるらしい。

なぜか急にさだまさしの防人のうたを歌い始めたり、突如「五十半ばの脂ぎって腹も出た男性を、マイケル・ジョーダンだと自分に言い聞かせてセックスすることは可能か否かという話になった。」と語り始める著者。

日記だから、そこに語り口調も論理も関係ない。

そのカオスさがまたいい。

ただ、電車の中で読むとニヤニヤしてしまうから油断は禁物だ。

ちょうど「風が強く吹いている」のアニメもやっていることだし、三浦しをん作品を読んでみよう。

 

 

少女は卒業しない/朝井リョウ

 

 

伸ばした小指のつめはきっと、春のさきっぽにもうすぐ届く。

つめたいガラス窓の向こうでは風が強く吹いていて、

葉が揺れるのをみているだけでからだが寒くなる。

 

これまで朝井リョウに対しては「桐島、部活やめるってよ」「チア男子!!」「何者」と

ヒットを飛ばす人気若手作家というイメージを勝手に抱いていた。

捻くれている自分は、話題になっている時にあえて買わん!と頑なに読まずにいた。

謎の非買運動を行っている中、たまたま「少女は卒業しない」を手に取って

パラパラとめくった。

で、冒頭の一節を読んで心を摑まれてしまった。

 

たったこれだけで学生時代の懐かしさや、卒業間際のソワソワした感じが一気に蘇ってくる。

これが、朝井リョウか・・・と非買運動にピリオドをうち、

結果めちゃくちゃ良い小説だった。

 

この本は、翌日には校舎が取り壊されてしまう地方の高校が舞台で、

卒業式の一日を7人の少女の視点から描いた短編集。

中でも短編最後を飾る「夜明けの中心」が特に印象に残っている。

 

校舎の幽霊。どの学校でもそういった類のうわさはある。

東棟の校舎に出るという幽霊の噂が、南棟にうつりかわった時期があった。

 

真夜中の教室も、誰もいない校舎も、全然怖くない。

だってあたしは、あの子たちがあんなにも怖がっていたものを、

いま、こんなにも探している。

 

卒業式終了後に夜の校舎に忍び込む、主人公の「あたし」。

そして同じことを考えていた人物がもう一人、香川がそこにいた。

かつてあたしには駿という恋人がいて、香川、駿とあたしの三人は友達だった。

香川と駿は剣道部でお互い友人でもあり良きライバルでもあった。

あたしは料理部員で、南棟の三階のはしっこにある調理室で

クッキーを焼き、駿のために作ったお弁当を温めて一緒に食べた。

それがほんの一瞬の出来事で、平穏な日々は崩れ去った。

 

時間が止まってしまったあたしと香川は、

明日取り壊される校舎で、お互い向き合うことができなかった、

その過去に踏み込むことで未来に一歩進もうとする。

 

朝井リョウの文章は、短編の映画を見てるみたいだ、と思う。

それこそ、桐島~の時の神木君みたいに8ミリカメラを持ってまわって

どこかの学校に忍び込んできたんじゃないかと思うくらい描写が鮮明だ。

そしてなにより

なくなってしまうものの象徴としての「校舎」と、

時間的な制限である「卒業」。

どちらも限られているからこそ、青春時代の儚さと美しさがそこにあるんだと

言っているような気がしてならない。

 

このあと朝井リョウの代表作を色々読んでみたけれど、

やっぱりこの本が一番好きだ。