受難/姫野カオルコ

昨日なんとか仕事を納めて実家に帰省しました。

12月後半は体の調子が思わしくなく、ひたすら寝続けるという
無駄な時間を過ごしてしまった。
心は小学生男子でも身体はアラサーという現実がつらい。

さてそんな自分にぴったりのタイトル「受難」。
1995年に発表されてから随分後に映画化もされた。(岩佐さん、いま何してるんだろう。)

主人公フランチェス子は両親と早くに死別し、戒律の厳しい修道院で育った。
修道院を出てからはプログラマーとして働き、贅沢もせず一人でひっそりと暮らしていた。
そんなある日、フランチェスコの女性器に人面瘡ができてしまう。
「お前は女としてダメだからこんなものができるのだ」と罵る人面瘡に「古賀さん」とあだ名をつけ、
奇妙な共同生活が始まる。

受難とは、苦しみやわざわいを受けること。
そして神学用語から引用すると、イエス=キリストが十字架にかけられて受けた苦難のこと。
冒頭から人前で読むのがはばかられる放送禁止用語が続き、
処女のフランチェス子と人面瘡古賀さんというファンタジーな設定と、コミカルな会話劇に何度も笑わせられる。
1995年に発表されたこの作品に描かれるフランチェス子、今でいう「こじらせ女子」そのものだ。

容姿はモデルをやっていたくらいなので美しいはずだが、
石膏のようで男性を萎えさせてしまう特異な性質。
「空き家女」「女として魅力がない」と古賀さんにさんざん言われ続け、
悲しむことすら諦めたフランチェス子。
ついには自分の部屋をラブホ代わりにと改造して友人たちに提供する始末。
ただ、このフランチェス子という人物は基本的にポジティブであり、図太い。

「神様、私は傲慢でした。私のような女には、さびしい、という資格はありませんでした。ごめんなさい。」

古賀さんにさびしいなんて勃起させられる能力のある女が言えることだ。と言われたフランチェス子の自嘲は反論に聞こえる。
働いて、自立して慎ましい生活をしているだけなのに、なんで女として欠陥品とレッテルを貼られなければならんのだ。
物語の根底には、著者が感じている世の中のジェンダー観に対する違和感が漂っている。

「恋人ができる男というのは会話がないんだ。恋人ができる女と言うのも会話がないんだ。
会話なんかできたら”つきあう”対象としては見てはもらえない。パーソナリティを持ったらダメ女になる。
男もおんなじさ、パーソナリティなんかあるやつは、いい人ね、だ。」

相手の人格の深い部分にまで入り込もうとしないこと、
入り込まれるほどの人格を所有しないこと。
これが男女の付き合うキモらしい。

じゃあ自分を押し込めてまで男女の仲になりたいのかって自問自答してしまう。
こんなんだからダメなんだろうな。

フランチェス子のように僻まず、他人の幸せを願う人間になれば救われるのか。
「与えよ、さらば与えられん」
ラストのおとぎ話のような超展開に驚きつつも、すっきりとした読後感が良かった。

新版 犬が星見た/武田百合子

 

朝食まで、一人で散歩に出る。一人がいい。

好きな方角に足を向け、好きなところに、好きなだけいられる。

 

武田百合子の著書は読んだことがない。

夫の武田泰淳はひかりごけで覚えていたので

作家の奥さんはどのような文章を書くんだろうと興味が湧いて手に取った。

昭和44年6月。横浜港。

武田夫妻と友人の竹内氏の3人は他のツアー客とともにロシアへ旅立った。

著者の文章は無駄がなく、まっすぐ物事をとらえる。自由奔放。

食事の描写も給食の献立のようで、料理に対して細かく語らない。

そして正直に美味しいものは美味しいと言い、マズいものはマズいという。

気持ちのいい人だなあと読みながらすぐ好きになってしまった。

 

あまり女性だからどうとかいうつもりはないけど、

この本に頻繁に出てくる言葉が「糞」「便所」「嘔吐」・・・

人間の生理現象をありのまま書いている。

ここまで記録されている旅行記もないのではないか。

汚いというより、ああ人間の行動は客観的にみると可笑しいなと思えるギリギリのライン。

そしてこの本には、自分の理想的な夫婦の関係性があった。

ツアーの旅程がずれこんでしまい、

アルマ・アタを飛ばし、タシケントに行くことが決まった時。

 

「どうして、行けないのかなあ」と、私にだけ聞える小さな声で呟く。

私が応えないでいると、再び「どうして、行けないのかなあ」もう少し大きく、しかし私にだけ聞えるくらいの声で呟く。

声が震えている。

「いやならいやだと言っていいのだから。あたしが言おう」

すると、〈言うな〉と私の腕を痛いほど掴む。

 

皆がタシケント行く雰囲気になっている中で、

アルマ・アタに行けない恨めしさを、著者にだけ感情を吐露する夫。

夫の思いを叶えてやりたいという著者。

内弁慶で臆病な夫と、自分の意見をきっぱりと言える凛々しい著者の姿が目に浮かぶ。

そしてどうにもならない中、夫が可哀想で涙してしまう著者の優しさに胸が打たれた。

泰淳は、旅は楽しいか?と確認し、自分が美味しいと思ったものは百合子も食べろと言い、服もときたま褒める。

不器用ながらも行動は愛に溢れている。

 

「スパシーバ(ありがとう)」

「パジャールスタ(どういたしまして)」

 

各々が異国の地で何度も口にした言葉。

おそらく、このロシア旅行が最後の旅行になることを予測しているのか、
旅行記に写しだされる二人の姿は、
お互いの存在に「ありがとう」と「どういたしまして」と言っているかのようだった。