ファンタジーの発想/小原信

神保町で古書店めぐりをしている時にたまたま手に取った一冊。

「ファンタジーはものとか数字に心を奪われがちなわたしを、ひろがりのある、
よりひらかれた世界へといざなう心の栄養剤である」

倫理学者である著者は5つの物語を通して、ファンタジーの素晴らしさと「現実世界をどのように生きていくか」を優しい言葉で論じている。

本書で取り上げているのは、星の王子さま/モモ/はてしない物語/銀河鉄道の夜/ライオンと魔女~ナルニア国物語~

いずれも二つの世界を行き来する物語だ。

どの考察を読んでも著者の美しい文章に惹きこまれるが、
とりわけ心に残っているのがM・エンデ『モモ』。

主人公であるモモは、どこからか現れた年齢不詳のいたって普通の女の子。
モモの取柄は他人の話をだまって聞くことができることだった。
町の人々はモモに自分の夢などを口に出す事によって、自分自身を発見することができ、話を聞いてくれるだけでしあわせになれた。

そこに「灰色の男」が現われ、町の人々に時間を節約すれば財産になり、利息がつきますよと説いていく。

灰色の男の考え方に人々は賛同し、ものごとを速く処理するようになり、
時間を蓄えることや、ものを多く手にすることが幸せだと思い込み、せわしい生活を送るようになった。

違和感を覚えたモモは、灰色の男が実は、人々が節約した時間をうばいとって自分たちのためだけに使う「時間泥棒」であることを知る。

モモは自分の持っている時間を町の人々に与えようとしても、
人々は忙しく動いていて相手にしてくれなくなった。
モモはたちまち孤独となってしまうが、人々のうばわれた時間を元に戻そうと奮闘する。

この文章を読んでいて深く考えさせられるのが、忙しいことが充実していることで、何かをすることが無駄に生きていないことの証明となるのか、ということだ。

時間を量としてとらえれば私たちはお金やものを得られることができるが、
質としてとらえれば、人に対する気づかいや思いやり、ふとした時に芽生える感情などが失われているのではないか。

自分のことを振り返れば、田舎から東京に上京してのんびりとした自分ではやっていけないと思って、
スピードに乗り遅れまいと無理をして合わせるようになった。
都会は効率的に過ごせる環境があるし、仕事では時間を省いて生産性を上げ、利益を生み出すことをもとめられる。

でも、ここで著者が語る言葉、
「われわれがいま生きていて、いろんなことができるというのは、だれかの犠牲の上になりたっているのであるが、自分がそのことに気づかないかぎり、そのことは無視していられる。
気づかない時間とは無責任でも無神経でもいられるうつろな時間である。知らず、気づかないゆえに、見えない心の時間の浪費が進行しているのである。」

耳が痛い言葉だけれども、目の前の忙しさに麻痺してきて、当たり前のことに無自覚になっている自分に気づく。
余裕がなくて疲れ切った自分の顔が電車の窓に映ると自分ってこんなんだったっけと最悪な気持ちになる。

最近どんなことで心から感動したか、じっくりと相手の立場に立って話を聞くことがあったか。聞いていたか。

田舎にいた時は、友達とくだらない話をしながらあてもなく散歩したり、釣りをした。
大学でも友人宅でぐだぐだしゃべりながら飲んだこととか、無駄だと思える時間が貴重な時間だったのだと思える。

とはいっても、特に仕事においてはそんなことも言ってらんないのが現実ではある。
今のところ仕事をしなければ生きていけないし。

ただ日々の心の置き方として、たとえ一瞬でも、心に残る充実した時間を過ごすことができるような日常を送っていきたい。

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