ナナメの夕暮れ/若林正恭

4度目の引っ越しをした。
長い通勤時間と満員電車に耐え切れずとうとう音を上げてしまった。
4度目ともなると部屋が決まったら、諸々の手続きや荷造りを済ませてと
なんだか慣れたもんだなと思う。

随分更新が滞ってしまったので、
最近読んだ本。

ナナメの夕暮れ。
タイトルの語感がとてもいい。
タイトルが気に入るとそれだけで中身も期待してしまう。

この本はオードリーの若林が、ダヴィンチの連載を加筆修正して書籍化したもの。

毎日を楽しんで生きている人に憧れて、そういう人間になりたいと願ってきた本人が、
そういう人間になることを「諦めた」。
諦めたことによって得られたことが書かれているエッセイ。

この本を読んで共感できる人と、共感できない人が分かれるだろうなというのが率直な感想。
もちろん、自分は前者だ。

昔、井上雄彦が何かのインタビューで、漫画のネームを考えるときに、
自分の深い芯のところまで潜ると言っていた。
なぜなら自分の奥底で感じていることを突き詰めていけば、
他の人だって同じことで悩んでいたり、感じていたりするはずだと。

若林のエッセイを読んでいると、自分がどういう人間で、今どう考えてどう行動しているのか
とても冷静に観察してるんだなという印象を受けた。
自分の中で生まれた「?」を咀嚼して、その考えを(ときおり自嘲も交えながらも)自分なりの言葉で表現している。
うまく自分の中にあるもやつきを代弁してくれているような感じがする。

中でも「自分の正解」にあった言葉は、心あたりがありすぎてドキっとした。

他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、
自分の正解が段々分からなくなる。

他人の正解に置きに行くと、例えばその場に人数が多い時に、
どの人の正解に置きに行っていいかわからなくなり、キョロキョロおどおどすることになる。
だから、僕は人数の多い飲み会が嫌いなのだ。

往々にして、発言力の大きい人というのはいる(権力があったり、有名だったり、学歴が高かったり)。

気を抜くと、そういった人たちの発言はいつのまにか正しいこととしてすり替わってしまう時がある。

自分の頭でちゃんと考えて、疑う。
誰かの意見に乗っかるのは楽だ。
だからちゃんと考えて、自分なりの正解をもっておかなければいけない。

改めて気づかされる。

また、この本は一種の開き直りと励ましを与えてくれる。

明るくて前向きな人間は暗くて後ろ向きな人間を無視してぐんぐん進む。
でも、そんな人間をいくら羨んでもその人にはなれない。

それなら自分だって他人の目は気にせず自分の好きなことをやればいいのだ。

こんな単純なことを今まで色々と考えすぎてできなかった。
引っ越しもしたし、何か自分の好きなことを見つけて思う存分やってみようと思った。