石の辞典 /文・矢作ちはる 絵・内田有美

 

明日から増税だ。

本も値段が高くなってしまって出版業界が今まで以上に厳しくなってくる。

電子書籍も買うけど、やっぱり紙の感触が好きだ。

これは絶対電子版じゃ無理だなという本のご紹介。

 

雷鳥社の「石の辞典」。

A6判。装丁はザラザラとしたキャンバスのような風合い。

そこに内田さんの繊細な水彩画と矢作さんの想像力を掻き立てる文章が載せられている。

昔から石が好きな自分にとっては、心をワクワクさせる一冊だ。

ただの石の図鑑ではなく、アートブックの方が近いかもしれない。

読んでいると、いつの間にか宮澤賢治の本や、宝石の国で登場したあの石たちの名が。

合わせ読みをしたら楽しみも倍増されるはず。。

私の推し石。

 

 

14歳からの仕事道/玄田有史

GW明けて久々に仕事行ったら疲れがどっと出た。
土日は連休中行けなかった病院をはしごして終わってしまった。
まあ溜まっていた諸々の家事ができたので良しとしよう。

5月からは新卒育成というミッションを課せられたので、
マネジメントの本などパラパラ見てみた。
自分ができていないのに人にこんな事言えるか!と、
結局自分が新卒の時、古書店で買って良かった本を思い出して読み返してみた。

いちばんたいせつなのは、ちゃんといいかげんに生きること。

矛盾しているよなあ、と思いつつも

いい言葉だと思う。

働いて10年たつと、この感覚がなんとなくわかってきた。

「ちゃんと」真面目に生きようとすると息切れしてしまうし、

「いいかげん」に生きてると、将来自分が困ったことになってしまう。

この本は14歳からとタイトルにあるとおり中学生でも読みやすいよう
やさしいことばが使われていて、スッと頭に内容が入ってくる。
社会人になる前でも、社会人になった後でも、
立ち止まって考えるためのヒントを説いてくれている。

社会人になったばかりの頃、救われたのが「カベの前でウロウロしよう」という考え方。

世間的には壁を乗り越えろ!という風潮があるけれど、
著者は、「壁なんて乗り越えられないことのほうが多い。学校で身につけた知識や経験をフル稼働しても、
社会に出たら訳わからないことの連続で上手くできなくて当たり前」という。

ただ、壁にぶちあたった時に真剣にカベの前でもがいてると、いつのまにか壁の方が壊れたり、誰かが手を差し伸べてくれたりする。

ここで逆に楽して取り繕おうとしてしまうと、後から帳尻が合わなくなってしまう。
分からないなりに何とか考えてみる。もがいたほうがいいと言っている。

これは仕事をしていても結構大事な姿勢だと感じる。
思考停止してしまうと、そこから先には進まないし、何も生み出さない。

でも例外はある。

この壁というのが、サービス残業が酷いとか、理不尽なパワハラとか不可抗力の場合は我慢する必要は無い。

ひとりで抱え込まずにだれかに相談して、その場から一刻も早く抜け出した方がいいと思う。

私はそこを履き違えてしまい、

体を壊してからでしか気づけなかった。

自分をいたわることが、仕事を長く続けていくために必要なことだと身をもって感じている。

新卒や、転職したばかりの頃は、誰かに認められなきゃと焦ったり周りを気にしたりしていた。
でもこの本を読んで気づくことがある。
職場の評価は一部分であって自分の全てではない、
だから必要以上に落ち込まずに、自分を認めてうまく舵取りをしていくしかないのだ。

 

 

と、偉そうなことをつらつらと書いてはみたものの。
最近上司からのプレッシャーがキツくて自戒を込めて書きました。

とりあえず、新卒の子に先入観を持たずに向き合ってみようと思う。

旅のラゴス/筒井康隆

平成のうちに一本書いておこう!と思ったので、
こないだ旅行に持っていった本をご紹介。

「旅のラゴス」

筒井康隆の中でも、人生について深く考えさせられた作品。

主人公ラゴスは高度な文明を失った世界で、
ある目的の為に北から南へと旅をしていた。

ラゴスの生きる世界は、高度な文明が廃れてしまった代わりに
人々は転移や壁抜け、浮遊、テレパスのような不思議な能力を持つようになった。

ここでいう不思議な力はメインではなく物語のスパイス的な役割を果たしている。
あくまでメインはラゴスの旅である。

道中、奴隷として捕らえられ、鉱山で7年間もの月日を費やしたり、
大切にしていたスカシウマを殺されてしまったりと、あらゆる困難が立ちはだかる。

知恵と経験と決断。
これらがラゴスを支えた。
一文無しになっても、お金がなければお金を作るためにはどうするか、置かれた状況を分析して
自分の行動をシフトさせる。

生きていくために必要なことが散りばめられている。

一番心に刺さった一節がある。

「人間はただその一生のうち、自分に最も適していて最もやりたいと思うことに可能な限りの時間を充てさえすればそれでいい筈だ」

周囲の雑音が気になった時は、結局のところこんなふうにシンプルに考えればいいんだよなと思う。

令和に変わるにあたって、やりたいことをやれるだけやろう。穏やかに。

ビジネス・ゲー ム 誰も教えてくれなかった女性の働き方/ベティ・L・ハラガン

 

仕事をするのはあまり好きではない。

黙々と手を動かすのは好きだが、人と協力して何かをする事が嫌だ。

でもそんな甘いこと抜かしていると生活できないので、なんとかごまかしながらやってきた。

30代。上司からのもうそろそろ人をマネジメントしろよ、というプレッシャーを感じてこの本を選んだ。

前職は女性が活躍しています!と謳ったホワイト企業に見せかけたブラック企業だった。

出産後の復帰率高いと言っても、子どもがいる社員が時短で帰る分、残った仕事を独身女性に上乗せされて成立している。

明らかに一人で捌きようがない無茶な仕事量。教育もフォローもせずに入社したばかりの新人にあたらせる。

私はその仕事量をこなせないポンコツなんだと劣等感を抱いていたが、

転職した今はいかにあの会社が異常だったのだとわかる。

この本は、今まで自分の中に言語化できずにモヤモヤしていたことに一つの答えをもたらしてくれた。

同時に、もっと早くこの本に出会えていればなあと悔しい気持ちもある。

女性だけではなく、これから社会に出て行く学生にはとても参考になる一冊だ。

 

長年企業で勤務し、ビジネスコンサルタントとして独立した著者は、

ビジネスというものが未だ男性中心のゲームであり、

女性がそのゲームの中でどう振る舞えばいいのか分からずに働いていることが問題だと言っている。

女性は能力さえあれば、「男性と同じように」認められると思い込み、

学位を取ったり難しい資格に挑戦したりする傾向にある。

しかし、このような能力主義はウソだと否定する。

本当に必要なことは、状況を判断できる力、情報を収集する力だと。

会社という場所を「国」と考える。

そこには男性という「先住民」がいて、女性は「外国人」と置き換える。

つまり私たちが真っ先にしなければならないことは、スキルの習得よりその国の言葉、ルールを知ることなのだ。

正直、私はその見えないルールについて知ろうとすら思ってこなかったので、

これまで「理不尽だな、なんで意見が通らないのだろう」といったことが起きた時、理由が全く分からなかった。

今思えば、きっとその暗黙のルールから外れていたからなのだ。

 

また、自分の働き方を考える時に、お金の感覚を磨くことが大切だという。

ビジネスとは、会社の利益を上げて、自分の収入を増やすことが目的だ。

会社からお給料をもらっているという意識ではなく、

私たちは企業活動で得た利益を分配されているという意識を持つ。

そうすれば、目の前の仕事だけではなくもっと俯瞰で仕事を見ることができる。

今後も今の会社で上手くやってけるかどうかは分からない。

でも、ゲームの仕組みとルールを知って、自分が最低限何をすべきかわかっているだけでもやりやすくなる。

 

著者も本の中でこう言っている。

 

会社とは、働く人間に対して出来るだけ少ない報酬で、

出来るだけ多くの仕事をさせることを常に考えていることをお忘れなく。

 

ぜひ笑ゥせぇるすまんの喪黒福造ボイスで再生してほしい。

 

赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。/赤塚不二夫

明けましておめでとうございます。

仕事初めから予想以上に忙しくて、メンタルをがりがり削られました。
もう機械的に捌くしかないと思い、心を殺して迎えた昨日の金曜ロードショー「耳をすませば」。
今朝窓を開けても天沢聖司くんはいませんでした。代わりに隣の家のお爺ちゃんの頭が見えました。

現実に絶望しつつも2019年は仕事を辞めないように頑張るつもりです。
あと、ブログも書くことがある限り続けます。

さて2019年度一発目の本。

 

赤塚不二夫が今では各業界で天才、大御所と言われる面々と対談した本。

七人の侍みたいな面々にしたかったという本人。

タモリ、柳美里、立川談志、北野武、ダニエル・カール、荒木経惟、松本人志

と大御所の面々。

どの章も読み応えは抜群だけどタモリさんとの関係性が、今の時代にはないことだなあと思って
感慨深い。

タモリさんは赤塚不二夫にその面白さを買われて、30歳の時に九州から上京した。

上京後も赤塚不二夫の目白の高級マンションに居候し、ベンツを乗り回す贅沢な居候生活を満喫したという。

方やパトロンである本人は事務所のロッカーを倒してベット代わりに寝て、タクシーを使う。

タモリさんのいう居候の秘訣は、

「恐縮すると居候を養っている側が見くびるんですよ。こいつぁー大物じゃないって(笑)。

こんなもてなしくらい、俺は当然受けていい人物だっていうのを見せないと、居候やっていけないですよ。」

赤塚不二夫は「笑い」に代えがたい価値を持ってたから、自分が面白いと思ったタモリさんを惜しみなく支援した。

才能を買うという行為は博打のようなもので、覚悟がないとできない。
回顧主義かもしれないけど、人間臭くていい時代だなあと思う。

この対談集でドキッとしたのがダニエル・カールとの対談。
戦争経験者の赤塚不二夫が、
ダニエルに「アメ公」「アメチャン」と呼びかける。
侮辱ともとれる物言いに、何と呼んでくれてもいいですと真摯に質問に答えていくダニエル。
「ねえ、ダニエル・カールさん。だけど俺はいまでも悔しい、アメリカに負けたのは。」
そうこぼす赤塚不二夫に対して「今は仲がいいんだから関係ない」と諭す。

アメリカのことを認めているけど、肯定したくない揺らぎみたいなものが見て取れる。
言葉の節々には日本という国を想い、本気で心配している姿があった。

対談集とか結構好きで読んでしまうのは、
人と人との違う意見が知れることにある。

相手に媚びない率直な人の話は面白い。

これでいいのだ。っていい言葉。

 

 

 

受難/姫野カオルコ

昨日なんとか仕事を納めて実家に帰省しました。

12月後半は体の調子が思わしくなく、ひたすら寝続けるという
無駄な時間を過ごしてしまった。
心は小学生男子でも身体はアラサーという現実がつらい。

さてそんな自分にぴったりのタイトル「受難」。
1995年に発表されてから随分後に映画化もされた。(岩佐さん、いま何してるんだろう。)

主人公フランチェス子は両親と早くに死別し、戒律の厳しい修道院で育った。
修道院を出てからはプログラマーとして働き、贅沢もせず一人でひっそりと暮らしていた。
そんなある日、フランチェスコの女性器に人面瘡ができてしまう。
「お前は女としてダメだからこんなものができるのだ」と罵る人面瘡に「古賀さん」とあだ名をつけ、
奇妙な共同生活が始まる。

受難とは、苦しみやわざわいを受けること。
そして神学用語から引用すると、イエス=キリストが十字架にかけられて受けた苦難のこと。
冒頭から人前で読むのがはばかられる放送禁止用語が続き、
処女のフランチェス子と人面瘡古賀さんというファンタジーな設定と、コミカルな会話劇に何度も笑わせられる。
1995年に発表されたこの作品に描かれるフランチェス子、今でいう「こじらせ女子」そのものだ。

容姿はモデルをやっていたくらいなので美しいはずだが、
石膏のようで男性を萎えさせてしまう特異な性質。
「空き家女」「女として魅力がない」と古賀さんにさんざん言われ続け、
悲しむことすら諦めたフランチェス子。
ついには自分の部屋をラブホ代わりにと改造して友人たちに提供する始末。
ただ、このフランチェス子という人物は基本的にポジティブであり、図太い。

「神様、私は傲慢でした。私のような女には、さびしい、という資格はありませんでした。ごめんなさい。」

古賀さんにさびしいなんて勃起させられる能力のある女が言えることだ。と言われたフランチェス子の自嘲は反論に聞こえる。
働いて、自立して慎ましい生活をしているだけなのに、なんで女として欠陥品とレッテルを貼られなければならんのだ。
物語の根底には、著者が感じている世の中のジェンダー観に対する違和感が漂っている。

「恋人ができる男というのは会話がないんだ。恋人ができる女と言うのも会話がないんだ。
会話なんかできたら”つきあう”対象としては見てはもらえない。パーソナリティを持ったらダメ女になる。
男もおんなじさ、パーソナリティなんかあるやつは、いい人ね、だ。」

相手の人格の深い部分にまで入り込もうとしないこと、
入り込まれるほどの人格を所有しないこと。
これが男女の付き合うキモらしい。

じゃあ自分を押し込めてまで男女の仲になりたいのかって自問自答してしまう。
こんなんだからダメなんだろうな。

フランチェス子のように僻まず、他人の幸せを願う人間になれば救われるのか。
「与えよ、さらば与えられん」
ラストのおとぎ話のような超展開に驚きつつも、すっきりとした読後感が良かった。

新版 犬が星見た/武田百合子

 

朝食まで、一人で散歩に出る。一人がいい。

好きな方角に足を向け、好きなところに、好きなだけいられる。

 

武田百合子の著書は読んだことがない。

夫の武田泰淳はひかりごけで覚えていたので

作家の奥さんはどのような文章を書くんだろうと興味が湧いて手に取った。

昭和44年6月。横浜港。

武田夫妻と友人の竹内氏の3人は他のツアー客とともにロシアへ旅立った。

著者の文章は無駄がなく、まっすぐ物事をとらえる。自由奔放。

食事の描写も給食の献立のようで、料理に対して細かく語らない。

そして正直に美味しいものは美味しいと言い、マズいものはマズいという。

気持ちのいい人だなあと読みながらすぐ好きになってしまった。

 

あまり女性だからどうとかいうつもりはないけど、

この本に頻繁に出てくる言葉が「糞」「便所」「嘔吐」・・・

人間の生理現象をありのまま書いている。

ここまで記録されている旅行記もないのではないか。

汚いというより、ああ人間の行動は客観的にみると可笑しいなと思えるギリギリのライン。

そしてこの本には、自分の理想的な夫婦の関係性があった。

ツアーの旅程がずれこんでしまい、

アルマ・アタを飛ばし、タシケントに行くことが決まった時。

 

「どうして、行けないのかなあ」と、私にだけ聞える小さな声で呟く。

私が応えないでいると、再び「どうして、行けないのかなあ」もう少し大きく、しかし私にだけ聞えるくらいの声で呟く。

声が震えている。

「いやならいやだと言っていいのだから。あたしが言おう」

すると、〈言うな〉と私の腕を痛いほど掴む。

 

皆がタシケント行く雰囲気になっている中で、

アルマ・アタに行けない恨めしさを、著者にだけ感情を吐露する夫。

夫の思いを叶えてやりたいという著者。

内弁慶で臆病な夫と、自分の意見をきっぱりと言える凛々しい著者の姿が目に浮かぶ。

そしてどうにもならない中、夫が可哀想で涙してしまう著者の優しさに胸が打たれた。

泰淳は、旅は楽しいか?と確認し、自分が美味しいと思ったものは百合子も食べろと言い、服もときたま褒める。

不器用ながらも行動は愛に溢れている。

 

「スパシーバ(ありがとう)」

「パジャールスタ(どういたしまして)」

 

各々が異国の地で何度も口にした言葉。

おそらく、このロシア旅行が最後の旅行になることを予測しているのか、
旅行記に写しだされる二人の姿は、
お互いの存在に「ありがとう」と「どういたしまして」と言っているかのようだった。

高丘親王航海記/澁澤龍彦

 

昔から、現実と夢が倒錯するような話が好きだ。

自分の中で代表的な一冊がこの「高丘親王航海記」。

時代は貞観七年(平安時代初期)。

高丘親王は、僧侶の安展・円覚2人と秋丸という少年を引き連れ、

天竺へ向かった。

幼少期、父親である平城天皇の寵愛を受けていた藤原薬子に添い寝をしてもらいながら、

夢うつつで天竺の話を聞いた。

その後、平城天皇は権力闘争に負け、心を許していた薬子も自害してしまう。

仏門に入った親王は薬子の記憶を追うかのように、天竺へ行くことが生きる上での目標となった。

天竺までの道程では、蜜人採集をする部族、獏を飼いならす獏園など、次々と奇妙な出来事が起きる。

この物語に惹きこまれたのは、美しく妖しい「薬子」の存在が大きい。

文章全体に甘美な雰囲気が漂うのも、冒頭に彼女のイメージを徹底的に焼き付けられたからだ。

肝心の主人公である親王はというと、周りから愛される人物として描かれる。

何者も拒まない優しい心と、好奇心に任せて危険へ飛び込んでしまう少年のような純真さ。

その優しさが時に自分へ災いをもたらしてしまうというところさえも、魅力的に感じる。

そんな親王に忠誠を誓い、守ろうとする安展と円覚のあたふたした様子はどこか滑稽だ。

前半は旅の始まりを感じさせるわくわく感で始まり、

後半の親王が病に臥せってからは焦燥に変わる。

遺稿となったこの物語は、澁澤龍彦が入院中に完成させたものだ。

病に臥せってしまった親王が、天竺に辿りつきたい気持ちと自分の人生に残された時間に苦悩したように、残された時間がわずかだったらどうするか。

著者の死生観が少なからず反映されているとするのであれば、

私にはこの物語の結末が、明るい結末のように思えた。

ビロウな話で恐縮です日記/三浦しをん

 

オードリーANNツアーの抽選が外れてからは何もする気が起きない。

そういや昔、美輪さんがテレビで「正負の法則」を話してたのを思い出した。
いいこととわるいことは交互に訪れるものだと。

確かに2年前は仕事最悪だったけど、行きたいライブの抽選チケットは全部当たったなあ。

この法則はあながち当たっているのかもしれない。

今ある程度仕事も慣れてきたし、人にも恵まれている。

贅沢はいうなってことか。。。

こうなったら粛々と徳を積むしかない。

さて、この本は作家・三浦しをんの日記を2007年から時系列に編纂したもの。

「ビロウ」という言葉は初めて聞いたが、解説のジェーン・スー氏が調べてくださっていた。

 

尾籠(びろう)

①わいせつであったり不潔であったりして、人前で口にするのがはばかられること。

②礼を失すること。失礼。無礼。

 

内容はこのタイトルどおり、ビロウな話が満載である。

まず、表紙が中村明日美子先生の同級生に出てくる利人であることから分かるように、著者のBL愛・漫画愛が溢れている。

随所にBL本や漫画の感想が描かれているのだが、日常のあれこれは5行程度で終わる日があるのに比べ、感想を書いている日の熱量がすごい。

しかもただの感想ではなく、考察から漫画論にまで発展している。

好きな物に対して追求していくスタンスに共感せずにはいられない。

そしてこの本全体の一番魅力的なところは「三浦しをん」という人間性だ。

基本仕事に追われている著者が、「半ケツでトイレットペーパーの替えを探す」「風呂に入ってない」「冷蔵庫に眠っていた半年前のローストビーフを食す」など普通人が隠したい部分を、赤裸々に真面目に記録している。

あるある。とないない。と頭で思いながら読み進める。

どうやら人は忙しいと現実逃避しておかしくなるらしい。

なぜか急にさだまさしの防人のうたを歌い始めたり、突如「五十半ばの脂ぎって腹も出た男性を、マイケル・ジョーダンだと自分に言い聞かせてセックスすることは可能か否かという話になった。」と語り始める著者。

日記だから、そこに語り口調も論理も関係ない。

そのカオスさがまたいい。

ただ、電車の中で読むとニヤニヤしてしまうから油断は禁物だ。

ちょうど「風が強く吹いている」のアニメもやっていることだし、三浦しをん作品を読んでみよう。

 

 

少女は卒業しない/朝井リョウ

 

 

伸ばした小指のつめはきっと、春のさきっぽにもうすぐ届く。

つめたいガラス窓の向こうでは風が強く吹いていて、

葉が揺れるのをみているだけでからだが寒くなる。

 

これまで朝井リョウに対しては「桐島、部活やめるってよ」「チア男子!!」「何者」と

ヒットを飛ばす人気若手作家というイメージを勝手に抱いていた。

捻くれている自分は、話題になっている時にあえて買わん!と頑なに読まずにいた。

謎の非買運動を行っている中、たまたま「少女は卒業しない」を手に取って

パラパラとめくった。

で、冒頭の一節を読んで心を摑まれてしまった。

 

たったこれだけで学生時代の懐かしさや、卒業間際のソワソワした感じが一気に蘇ってくる。

これが、朝井リョウか・・・と非買運動にピリオドをうち、

結果めちゃくちゃ良い小説だった。

 

この本は、翌日には校舎が取り壊されてしまう地方の高校が舞台で、

卒業式の一日を7人の少女の視点から描いた短編集。

中でも短編最後を飾る「夜明けの中心」が特に印象に残っている。

 

校舎の幽霊。どの学校でもそういった類のうわさはある。

東棟の校舎に出るという幽霊の噂が、南棟にうつりかわった時期があった。

 

真夜中の教室も、誰もいない校舎も、全然怖くない。

だってあたしは、あの子たちがあんなにも怖がっていたものを、

いま、こんなにも探している。

 

卒業式終了後に夜の校舎に忍び込む、主人公の「あたし」。

そして同じことを考えていた人物がもう一人、香川がそこにいた。

かつてあたしには駿という恋人がいて、香川、駿とあたしの三人は友達だった。

香川と駿は剣道部でお互い友人でもあり良きライバルでもあった。

あたしは料理部員で、南棟の三階のはしっこにある調理室で

クッキーを焼き、駿のために作ったお弁当を温めて一緒に食べた。

それがほんの一瞬の出来事で、平穏な日々は崩れ去った。

 

時間が止まってしまったあたしと香川は、

明日取り壊される校舎で、お互い向き合うことができなかった、

その過去に踏み込むことで未来に一歩進もうとする。

 

朝井リョウの文章は、短編の映画を見てるみたいだ、と思う。

それこそ、桐島~の時の神木君みたいに8ミリカメラを持ってまわって

どこかの学校に忍び込んできたんじゃないかと思うくらい描写が鮮明だ。

そしてなにより

なくなってしまうものの象徴としての「校舎」と、

時間的な制限である「卒業」。

どちらも限られているからこそ、青春時代の儚さと美しさがそこにあるんだと

言っているような気がしてならない。

 

このあと朝井リョウの代表作を色々読んでみたけれど、

やっぱりこの本が一番好きだ。